「神の恵みのゆえ」 創世記8:13-22
わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。(21節)
ノアの箱舟は、罪のゆえに滅ぼされて当然の世界に与えられた、神の恵みを示す具体的な手段でした。新約聖書の時代に、この恵みはイエス・キリストによって啓示されましたが、その恵みを現代にまで示し続けているのが教会です。洪水後に語られた神のことばの中に、神の恵みはどのように現れているかを学びましょう。
一、世界は続いている
洪水後、ノアとその家族、そして多くの動物たちは約1年の後に船から出ることができました。もしノアが主のことばに従って箱舟を造っていなかったら、人類は滅亡していたはずです。ただ神の恵みによってノアたちは生きのびることができました。動物たちも再び、「地に群がり、地の上で生み、そして増えるように」なったのです。現在の世界を見ても、神の恵みは明らかでしょう。
学者は、滅亡した旧人類をネアンデルタール人と呼び、約20万年前に登場した新人類をクロマニヨン人と名付けています。どういう名前をつけるにしても、彼らの生きたこの地球は存続しています。水によるさばきの後に、神は新しい生き方をする人間に世界を任されたのです。そして2千年前、教会が誕生してからは、この教会が世界に福音を伝える働きを始めました。
二、祈りは続いている
箱舟から出たノアが最初にしたのは、「主のために祭壇を築く」ことでした。聖書に最初に出てくる「祭壇」です。ここで「全焼のささげ物」が献げられ、「主はその芳ばしい香りをかがれた」と記されています。この香りは、人が神にささげる祈りを意味しています(黙示録5:8)。ノアは神に感謝をささげたのです。神が始められた新しい世界を担ってゆくためには、神との交わりをすることが不可欠であり、それは神の恵みです。
祈りは、神と交わることにほかなりません。個人的に神と交わるのみならず、同じ神を信頼する者たちが共に祈ることは、まさに神の恵みであり、教会の責任です。共に祈る時、主もそこにおられます。(マタイ18:20)。たとえ私たちは罪深い者であっても、互いに罪を告白して赦しあい、十字架を見上げて進みゆくことこそ、2千年間教会が続けてきたことでした。
三、祝福は続いている
芳ばしい香りをかがれた主は、「大地にのろいをもたらしはしない」と約束され、「この地が続く限り、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない」と、祝福されたのです。「人の心が思い図ることは、幼いときから悪である」ことを受けいれた上での宣言だったことを忘れてはなりません。そこには、罪びとに対する神の恵みの偉大さが示唆されています。
だからこそ主は、旧約時代には祭壇で犠牲の動物をささげることを命じられました。さらに新約時代には、御子を犠牲とされたのです。神の恵みの大きさに感動して、自らの悪を悔い改め、罪から離れていくためでした。さらに、肉食を許し(9:3)、太陽の恵みを知らせる虹を契約のしるしとして見せられたのは、神の恵みの豊かさを思い起こすためにほかなりません。
ノアたちにとって、箱舟は神の恵みの象徴でした。しかし今の時代、教会がそのしるしであることを知りましょう。「常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する」神の民たちが共に集い、賛美し、主のみこころを学び、共に祈るとき、神の恵みはさらに深く魂にしみ込むのです。