2023.02.26 メッセージ内容

「謀略に陥らないために」 ネヘミヤ6:10-19

この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。(16節)

ネヘミヤがエルサレムに帰り、町の城壁を修復するために労していたとき、周囲の敵たちはそれを妨害しようと謀略を巡らしていました。その首謀者は、トビヤとサンバラテの2名です。しかしネヘミヤは彼らの策略にのらず、驚くほどの短期間に城壁を再建しました。それができたのは、ネヘミヤが神のみこころを知っていたからです。

一、敵の策略を見抜く

シェマヤは、再建された神殿で奉仕をしていた人物だと思われます。トビヤたちは彼を買収し、ネヘミヤに罪を犯させようとしたのです。シェマヤはネヘミヤが政治的な力を持っていることを知った上で、本来、祭司しかできないことをさせようと言葉巧みに近づきます。「敵から身を守るためだ」という、一見正当に見える理由を述べたのも、彼らの悪だくみでした。

たとい政治的に強い権力をもっている人でも、宗教的なものに携わってはならない、というのがユダヤ人の考えでした。いわゆる「政教分離」の原則です。これを混同するとき、国は混乱に陥ります。「天皇が神である」と主張していた人たちは、この原則を無視したために、あのような悲惨な結果になったことを忘れてはなりません。

二、高慢にならない

ネヘミヤは、「私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか」と明白にそれを否定しました。彼は政治的指導者であっても、神の前に謙遜に生きていたからです。ペルシア王に仕えていた宦官だったのなら、モーセの定めた律法では神の宮に入れませんでした(申命記23:1)。彼は自分の立場を熟知し、謙遜になって民衆とともに城壁修復に従事していたのです。

今の時代、このような謙遜な政治家がいたらと思わされます。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という俳句は有名です。政治家だけでなく、学者でも、芸術家でも、宗教家でも、その才能が豊かであればあるほど、謙遜になって人々に仕える生き方こそ、主が求めておられることでしょう。もし才能もないのに偉そうに振る舞っているとするなら、それは愚かなことです。

三、神に拠り頼む

ネヘミヤに協力する人々が多く、また皆が熱心に仕事をしたゆえでしょう。城壁は52日間で見事に修復されました。普通なら2年以上かかるような作業だったと学者は言います。敵たちは、そんなに早く完成するとは思っていませんでした。しかし彼は、「この工事は私たちの神によってなされた」と言い、神の聖名をあがめたのです。ネヘミヤは最初から神に祈り、神の助けを求めてこの仕事にあたったことを思い出します。祈り求めたからこそ、神はお答えくださいました。

神に拠り頼むとは、祈るだけで何もしないことではありません。祈るなら、神からすべきことが示されます。その結果、行動も生まれてきます。しかしどんな素晴らしい仕事ができたとしても、「神によってなされた」と告白することが重要なのです。ネヘミヤが有能だったのは、神に対するこの信頼があったからにほかなりません。

現代、もし私たちの周囲に「悪だくみ」を意図している人々がいるとするなら、その背後には、私たちを神から離そうとしているサタンの策略がある可能性があります。しかし、恐れてはなりません。主なる神は、サタンよりはるかに優るお方です。このお方に拠り頼んで、日々の生活を大胆に歩もうではありませんか。

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