「王なるキリスト」 詩篇45:1-11
心して耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。(10節)
この詩篇は、王の結婚式を祝って作られたものです。この王は、旧約時代の人々が待ち望んでいたメシア、つまりキリストを象徴しているように思われます。
一、優しく厳しい方
王は優しさと厳しさが必要です。神は悪に対し厳しく裁かれますが本来優しい方です。メシアは優しさと厳しさという二つの面を持っておられます。神の祝福を受けた方だから、両面を矛盾なく示すことができるのです。罪びとに対しては、厳しくその罪を指摘なさるとともに、罪を自覚して悔い改める者には優しく赦しを宣告なさいます。イエス・キリストは、神としての光栄と威厳を保ちながら、人の弱さを理解して人のために身代わりの死をとげられました。人間の王ではできないことを、主イエスは、神から遣わされた救い主として成就されました。
二、正しく治められる方
人間の王に対しては、「あなたの位は永遠に限りなく続き」と言うことはできません。そう言えるのは、メシアに対してだけです。神が、「喜びの油をそそがれた」お方こそ、「公平のつえ」をもって人々を正しく治めることができます。この方は、人々に平安を与える香りを放たれます。この世にあふれている、名誉や権力を求めるような支配者とは、まったく違う王であることは明らかでしょう。私たち自身も正しく歩みたいと願いつつなかなかできませんが、そのことができるよう、主イエスはこの地上に来て下さいました。
三、花嫁を愛する方
この詩篇の作者は、「娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ」と言っています。娘とは、王の花嫁であることは前後関係から理解できます。「あなたの民とあなたの父の家を忘れよ」との句から、彼女が異邦人であり、外国から嫁いできたことも推測できます。つまりこの聖句は、娘とは主イエスの花嫁として選ばれた人々を預言していると解釈できるのです。キリストは、まさに罪びとを愛して花嫁とし、その人々が悪の道から離れて、主のみことばに従って新しい歩みを始めることを望んでおられるのです。