2023.01.15 メッセージ内容

「敵から守られる主」 ダニエル6:10-24

彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。(23節)

紀元前6世紀、メディア・ペルシア連合軍はバビロニア帝国を滅ぼし、ダレイオス王が支配する時代になりました。ダニエルはこの新しい王にも信頼される立場に就いていたのですが、そのことを快く思わない有力者がいました。彼らは策略を立てて、ダニエルの信仰を理由に、彼を失脚させようとしたのです。

一、忠実な者を守られる

常識的に考えるなら、前の帝国で重要な地位についていた人物が、その後の帝国でも重責を担うことはあり得ません。処刑されて当然です。しかし、ダレイオス王は彼を重要な3大臣の一人に任命しました(2節)。彼が有能だったことはもちろんですが、「彼が忠実で、何の怠慢も欠点も見つからなかった」からです(4節)。人格的に立派な人物は、どんな王に対しても忠実です。

 残念ながら、権力に執着する人は、そのような人物が自分の上にいることに我慢できません。彼らは、ダニエルを陥れるためには「彼の神の律法のことで見つけるしかない」と考えました。彼がペルシアの神々や王ではなく、唯一の神を信じていることを悪用しようとしたのです。「何を信じるか」ということは人権の中心的部分ですが、過去にはしばしば、軽んじられてきました。

二、悪人の手から守られる

彼らは申し合わせて王のもとに押しかけて来て、「あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる」という法律を出してもらいたいと要請しました(7節)。ダニエルがこの法律を破ることを見越して、王の自尊心をくすぐる策略を立てたのです。王は深く考えることもなく、その口車に乗ってしまいました。権力者を忖度する態度は、昔も今も世にはびこっています。

しかしダニエルは、「以前からそうしていたように、自分の神に祈って感謝をささげて」いました。たとい悪者がどんな策略をたてたとしても、神が自分を守ってくださることを確信していたからです。悪人たちがこの事実を王に訴え出たゆえに、王は初めて彼らの悪巧みに気づきました。王は何とかダニエルを救おうとしたのですが、悪者たちは執拗に刑の執行を迫ります。

三、御使いによって守られる

王はダニエルに、「おまえがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように」と言って、仕方なく刑を執行しました。しかし一晩中断食をし、翌朝、獅子の穴に急いて行きます。神が何かの奇跡をなしてくださるかもしれないとの期待があったからでしょう。王の呼びかけにダニエルは答えます。「私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださった」と。

具体的に何が起こったかを聖書は語っていません。しかし、御使いはダニエルとともにいて、獰猛な獅子が彼を食いつくすことのないように守ってくださったのです。現代も、御使いは私たちを守ってくれます。それは実際の人間かもしれまおおせんし、思いがけない出来事かもしれません。具体的なことは時と場合によって違いますが、神は確かに働いてくださるのです。

ヘブル語でもギリシア語でも、また英語でも、「忠実」という語と「信仰」という語は同じ語源です。人に対しての忠実さは、神に対する信仰と似ています。何事がおこっても、信頼を持ち続けるならば、たとい敵であろうとも恐れる必要はありません。神を愛することは人を愛することに直接結びつくのです。

目次