「クリスマス序曲」 イザヤ9:1-7
闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。(イザヤ9:2)
旧約聖書の中には、救い主メシアがこの地上においでになることが、あちこちで言及されています。特に紀元前8世紀後半、つまり北王国がアッシリア帝国に滅ぼされた頃から、このことを預言する人が次々と登場しました。最も有名なのがイザヤで、彼は以下の3点を強調しました。
一、闇の時代
この時代、国は南北に分裂して争っていました。それに乗じて、アッシリアという大帝国が北から攻め寄せてきたのです。国内の混乱のみならず国際的な軍事活動の結果として、北王国はたちまちに占領されました。ダビデ王時代の栄光はもはや見る影もありません。それを目撃していたイザヤは、この時代が暗黒に包まれていたことを訴えたのです。その闇の時代は、その後、南王国の滅亡まで200年続きました。
主イエスの時代もローマ帝国の支配下にあり、同じような暗黒がユダヤの国を覆っていました。強国が弱い国々を侵略する姿は、古今東西、あちこちに見出すことができます。特に現代は、大量破壊兵器をもつ国々が多数あります。いつ何時、それが用いられるかわかりません。現代もまさに闇の時代と言うこともできるでしょう。私たちはどのように生きるべきなのでしょうか。
二、光の出現
しかしイザヤは、「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る」と言うのです。光の出現などとても想像できないような時代に、イザヤは神の言葉としてそう語りました。アッシリアに捕われていた人々が国に戻り、昔の繁栄が回復される日が必ず来ると預言したのです。しかも敵の大軍勢が打ち砕かれ、彼らの武器はみな焼かれてしまうという大事件の預言です。
これは、数年後、南王国にアッシリア帝国が攻撃してきたときに文字通り実現しました。しかし、イザヤの預言はそれで終わったのではありません。実は主イエスが誕生されることこそが、彼の預言の最終的な目的だったのです。武器がなくなるだけで平和が訪れるのではありません。人々の心が変えられない限り、戦争は絶えることはないのです。イザヤはそれを目指していました。
三、神の支配
これを実現するのは、「ひとりのみどりご」だとイザヤは最後に預言します。何の力も持っていないと思われる幼な子が、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるようになるのです。これこそ、神の国の支配原理です。軍事力によらず、「さばきと正義」によって人々を治めることができるのは、聖書の示す神ご自身しかありません。イザヤはこれを知っていました。
神ご自身が、何の力もない幼な子としてこの地上に誕生された。成人してからも、剣一本持たれることはなかった。まさに平和の君でした。軍事力に対抗できるのはもう一つ別の軍事力ではありません。それは真の愛です。人を犠牲にして生きるのではなく、人の犠牲になって死ぬことです。人間の常識では考えることのできない法則を、主イエスは身をもって示されました。そのことを示す第一歩が、馬小屋での誕生でした。
現代も、闇が地上を覆っています。しかし、クリスマスはその闇に光を与える時なのです。最も夜の長い季節にクリスマスがあるのは、この真理を象徴的に示しています。まず最初に私たちが光に満たされ、それを周囲に輝かせましょう。