「御心に従う喜び」 詩篇40:1-10
わが神よ。私はあなたのみこころを行うことを喜びとします。(8節)
詩篇は神を信頼する人々の「魂の叫び」です。でも、ただ叫び求めるだけではありません。叫びに応えて下さる神への信頼と、神の御心に従う決心も、同時に歌われているのです。この詩篇からそれを学びましょう。
一、確かにされた歩み
ダビデは、王になる前にも、なった後にも、多くの苦難を経験していました。彼はそのたびに、「切に主を待ち望んだ」のです。主は彼の叫びを聞き、「滅びの穴から、泥沼から」彼を引き上げて、確信の巌に立たせてくださいました。私たちにも苦難の時があります。神は自分を愛してくださっていないのではないか、と思う時もあります。しかし決してそうではありません。主はみことばを通し、あるいは牧師や兄姉を通して確信を与えてくださいます。
二、開かれた耳
神を信頼しない人々は、自分の力で何でもできると思っています。しかし「主に信頼を置く」人は、主のもとに逃げ込んで祈ります。神から何か良いことを言ってもらいたいと願って「いけにえや穀物のささげ物」を供えるのではなく、神の前にへりくだって、主の声を聞こうとするのです。その時、私たちの耳は開かれます。何度も読んでいる聖書のことばが、自分に語られた生きた神のことばになるのです。
三、知らせを告げる唇
神の声を聞いた人は、自分の唇を押さえません。喜びのおとずれを知らせようとします。「神様は、こんなことを私にしてくださった」と話すようになるのです。それこそが「みこころを行うこと」にほかなりません。その時、人を恐れることなく、かえって喜びがほとばしり出ます。二千年前、主イエスを信じた少数の人々がこの喜びの知らせを伝えたゆえに、福音は全世界に広まりました。私たちに届いたのです。
神を認めようとしない人々に神の愛を伝えることは決して簡単ではありません。しかし、全ての人々が神の愛を知ることを、神は望んでおられます。私たちに与えられたこの喜びを伝えようではありませんか。