「宣教拡大の秘訣」 使徒16:1-10
彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられると確信したからである。(10節)
パウロの宣教旅行は「使徒の働き」後半の大きなテーマです。これらの記事を注意深く読むと、パウロは明確な方策をもって宣教していたことがわかります。第二次宣教旅行で数か月滞在した、現在のトルコの中央部にあった町リステラでの出来事の中に、少なくとも3つの方策があったことを見出すことができるでしょう。
一、柔軟な対応
パウロは15章で、割礼がない異邦人でも信仰によって救われると言う根本原則を明確にし、エルサレム教会もそれに同意しました。しかし、このリステラにおいて、信仰深い青年テモテに出会ったとき、彼に割礼を受けるよう、助言したのです。律法を重要視していたユダヤ人たちの理解を得るためでした。パウロは原則を確立するとともに、柔軟な対応をしていたのです。
福音が様々な文化をもつ人々にも広がっていくためには、この柔軟な対応は不可欠です。救いの教理を堅持するとともに、人々の生活の妨げにならない対応策を考える必要があるのです。日本では、お盆とかお彼岸などが生活の一部になっています。祖先を偶像として礼拝してはなりませんが、「父と母を敬いなさい」との戒めに従うことと理解することもできるでしょう。
二、聖霊の導き
パウロはまた、どの町で宣教するかについても柔軟でした。自分の計画をもってはいましたが、聖霊がそれを禁じられたので、別の道を選んだのです。二度もそんなことがあって後、彼らはトロアスの町に行き着きます。大雨とか地震とかで通行不能になっていたのかもしれません。たとえ自分の思い通りにならなくても、そこに聖霊の導きがあると信じていたのです。
現代でも、どんな人々にどのような方法で福音を伝えるかについて、十分に考えることは大切です。しかし計画が実行できなくなったとしても、それを聖霊の導きと受けとめることも大切でしょう。今は、コロナによってこれまでと同じ伝道方法がとれなくなっています。これを聖霊の導きと受けとめ、新たな方策を考えるチャンスにすることもできるのではないでしょうか。
三、人材の活用
トロアスでパウロは幻を見ました。マケドニアの服を着た人が、「私たちを助けてください」と懇願するのです。彼は直ちにそれに応答して、ヨーロッパ伝道に進んでいきました。これが、後に世界史を変えるきっかけとなったのです。これ以降、パウロと共に行動するようになったギリシア人の医者ルカは、この町でパウロに出会い、キリストを信じたと推測されています。
また、リステラから一行に加わったテモテの活躍も重要です。彼は、後にパウロの良き後継者となり、エペソ教会で長く伝道することになります。シラスやテトスなどの青年も、パウロの伝道を支えていたことが、聖書のあちこちに記されています。宣教の中心は人です。その人が真に神と人を愛するようになるなら、結果として福音は広がっていきます。私たちの教会も同じです。
過去2000年間の宣教の歴史の底流には、この3原則がありました。「時が良くても悪くても」みことばを宣べ伝えるよう、パウロはテモテに書き送っています(Ⅱテモテ4:2)。急速に変わっていく時代に生きる私たちも、この原則に従ってこの西宮の地で伝道しましょう。私たちの周囲にいる人々を愛して仕えていきましょう。