2022.09.25 メッセージ内容

「神と共にいる幸い」 詩篇16:1-11

満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみが、あなたの右にとこしえにあります。(11節)

この詩篇の表題である「ミクタム」とは黄金という意味です。ダビデ王が作った、黄金のように価値がある歌だからでしょう。この詩篇には、「神と共にいる」ことがどれほど幸いなことであるかが見事に歌いあげられています。

一、現在の幸い

この歌を作った時、ダビデは多くの敵から攻撃されていました。そのたびに、彼は見えない神のもとに逃げ込みました。そして、主と共にいる時が一番幸いだと告白したのです。ただ主のみが、自分の最高の財産だからです。

現在の私たちも全く同じです。どのような苦しみの時でも、主こそが「私への割り当て分」なのです。これが自分の確信となる時、大きな喜びが生まれることを知りましょう。

二、過去の幸い

「割り当ての地」という語は、以前の訳では「測りなわ」と訳されていました。土地を測量するための道具のことです。ダビデは過去に、良い土地を割り当てられたことがありました。しかし主は、その土地よりはるかに価値あるお方と思ったので、喜びに満たされたのです。苦難も多くありました。でもそのたびに神からの助言を求め、祈っていました。その苦難の時に、主が自分の右にいてくださることを経験したのです。

主が共にいてくださるという事実ほど嬉しいことはありません。「私の心は喜び、私の胸は喜びにあふれています」と歌われている通りです。私たちも、同じような経験をしたことがあるのではないでしょうか。

三、将来の幸い

主と共にいる幸いを、過去や現在、経験したことのある人は、将来に対しても希望を持つことができます。神が永遠なるかたであるなら、その神と共にいる者たちも、永遠に生きる者となるからです。死で終わる人生ではなくなるのです。「あなたは私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に、滅びをお見せにならないからです」という表現は、何と大胆な告白でしょうか。そこに至るいのちの道は、目の前に広がっています。

主と共に歩む者の前には、「満ち足りた喜び」があります。また「楽しみが、あなたの右にとこしえにあります」。こんな罪深い、愚かな者でも、主イエスは愛してくださり、共にいてくださるとの信仰が、このような幸いをもたらしてくれるのです。

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