2026.3.22メッセージ内容

「信仰と恵みによる救い」 ローマ 4:9-16

「そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。」(ローマ4:16)

「そういうわけで」(中心聖句・16節)と、アブハラムの「すべて」(全生涯)が信仰によって救われ、神の恵みによる信仰生活を全うしたと、結論づけています。

1、「信仰義認」に、割礼は必要なし

「信仰義認」は、「働きがない人」(律法を行えない)でも、「不敬虔な人」も、神は、信仰によって義と認めてくださると断言しています(5節)。アブハラムだけでなく、ダビデも「信仰義認」の証人でした。これで決定と思われましたが、ユダヤ人は「割礼」は必要ではないかと問います(9節)。

パウロの答えは、「NO」必要なしです。理由は、アブハラムが信仰義認の恵みを受けたのは、割礼の前だからです(10−11節)。

例えると、「割礼」は、「証印」(印鑑を押すこと)で、その契約書の中身は、「信仰義認」です。「証印」よりも、契約書の中身である「信仰義認が重要だからです。パウロはこの順序を確認したのです。

私たちの信仰生活でも、聖礼典の儀式(洗礼式・聖餐式)、伝道、奉仕、献金、宣教活動などの「目に見える」信仰の営みがあります。信仰生活が神に喜ばれ、生命あふれる営みとなるには、まず最初に「信仰義認」から始めることです。その逆の順番では、「クリスチャンだから、しなければならない」と、義務的・強制的奉仕、他人の目を気にする信仰生活になり、「信仰義認」の恵みが離れてしまいます。「行為義認」(自分の善行による救い)は、救いの確信と喜びを失い、健全な信仰生活からも逸脱してしいます。

2、「信仰義認」によって、生涯を全うする

①「すべては信仰による」

アブハラムは、信仰義認の恵みを神から受けたその時(創世記15:6)だけ信じ、その後は、忘れてしまったのではありません。すべての信仰の営みは、信仰義認を土台としていました。私たちも生涯を全うし主の御前に立つことができるのは、ただ「信仰義認」によるのです。

②「事は恵みによる」

アブハラムの生涯は、神の恵みが先行していました。先が見えない時も、罪を犯し信仰が失われてしまったような時も、神は神の方から一方的な恵みを与えています。アブハラムは、悔い改め、礼拝を再開し、神との交わりを回復し、生涯を全うしました。

3、私たちも、アブハラムの信仰に倣う

アブハラムは、神の選民・ユダヤ民族の父であり、私たち異邦人の信仰の父でもあります。「私たちの父が割礼を受けていなかったときの信仰の足跡に従って歩む者たち」(12節)、「アブラハムの信仰に倣う人々」(16節)とは、私たち異邦人のことです。

アブハラムと同じように、私たちも信仰と恵みによる救いを受けています。

そして、「目に見える」信仰生活を外側から整えるのではなく、信仰義認を確認し、神の恵みに感謝し、神を信頼し信仰生活を全うしましょう。

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