2026.2.1メッセージ内容

「信仰義認」 ローマ 3:21-26

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです」。ローマ3:23−24

1、「しかし、今や」(21節)

全人類の中で、義人は一人もいません。人は、律法(善行)を行なっても、罪を帳消しにできません。全ての人が神の前に義と認められず、神のさばきによって、罪人として断罪されるしかありません(19−20節)。

ですから、人の方からではなく、神の方からの救いしかないのです。「しかし、今や」(21節)と、神からの救いが開始されました。

「律法とは関わりなく」とは、律法を行う救いではありません。旧約時代の律法と預言で予告・予表された神の義による救いです(20節)。神は天地を造られる前から、キリストによる救いを計画され、神の義による救いを成就されたのです。

2、「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(23節)

ローマ書の罪悪論の結論は、「すべての人は罪を犯して」、神の御前で罪人であることです。 その結果「神の栄を受けることが」できません。それは、神との永遠の断絶です。神の臨在を経験できません。神の素晴らしさを知ることができません。神が自分に永遠の命、永遠の御国を与えてくださると信じられないことです。人の方から、神の方に一所懸命に手を伸ばしたとしても、決して神に届くことはありません。神からの救いを受け取るしかないのです。

3、「イエス・キリストを信じることによって‥与えられる神の義」(22節)

神の義の啓示により罪を認め、律法により、罪の意識が生じました。そこには、自己絶望しかありません。だから、神は、神の義を、イエス・キリストを通して示したのです。罪人は、イエス・キリストを信じる信仰によって、神に義と認めらのです。

イエス・キリストを信じるとは、なんとなく漠然と信じるのではなく、聖書に記されているイエス・キリストの言葉、奇跡、十字架、復活、昇天、高挙、再臨を信じることです。イエス・キリストを信じるとは、知的理解だけではなく、信仰生活を通して深まり続ける信仰です。イエス・キリストを信じるだけで、神に義と認められるのです。過去、現在、未来において、イエス・キリストによって、神に義と認められていることは、信仰の核心部分であり、自分の信仰の確信でもあります。

4、「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです」(24節)

「神の恵み」とは、人の努力、功績ではなく、神の一方的な選び、神の憐れみです。神が、罪人に対して「義と宣言」し、神の義を付与して下さったのです。ただ、ただ、神の恵みによるのです。

「キリスト・イエスによる贖い」とは、キリストの罪の身代わりの死のことです。罪の報酬は死です。その罪人の死を、キリストは身代わりとなって引き受けられたのです。罪の代価をキリストの命で支払われたのです。罪から解放されるための身代金でもあります。

「価なしに」とは、「無代価」(ただ)で受け取ることです。神はキリストの命の犠牲を払いました。私たちは、ただで受け取りました。

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