「義人は一人もいない」 ローマ 3:9-20
「次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。』」 ローマ3:10~11
「私たちは知っています」(19節)とは、知識だけではなく、人生経験によって知っていることです。知らない者は素直に教えを請いますが、中途半端に知る者は、自分の生半可な知識で、高慢になる傾向があります。罪悪論の結論部分で、パウロは自分も含めて「すべての人が罪の下にある」(9節)と結論づけています。
1、「義人はいない、一人もいない」(10節)
結論(10節)は、人は人を救うことはできないということです。活ける真の神だけが、人を罪と死と悪魔から救うことができるのです。
- 神に対する罪(11、12節)
・「神をも求める者はいない」(11節)。
・神に対して「すべての者が離れ」、「無用な者となった」、「善を行うものはいない」(12節)。
・神と断絶状態が罪です。
- 言葉の罪(13-14節)
・「喉」「唇」「舌」「口」とあり、言葉の罪です。
・罪は、「思い」→「言葉」→「行動」となり、他人や社会に害毒を及ぼします。
・「思い」を神にきよめていただくことです。
- 行為の罪(16-17節)
・「道」「足」の罪の行為がすぐに拡散します。
・「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」(18節)ことが、すべての罪の原因です。
人は罪を言い訳し、屁理屈を言い、他人のせいにし、最後は神のせいにします。しかし、神の言葉(律法)に示されるならば、「すべての口がふさがれ」ます。「全世界が神のさばきに服する」ことを心から納得します。そして、「神様、罪人の私をあわれんでください」(ルカ18:13)と神の前に罪を認め、遜ります。
2、「律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです」(20節)
神の前に義と認められないならば、人は自分の義の行為(律法を行い、善行を積む)で、天国へ入れてもらうという発想になります。日本人お馴染みの「因果応報」「自業自得」の思想です。「あなたの罪を上回る善行を積み上げないと天国に入れない。その為に、教祖に絶対服従し、教祖に献金、宗教活動を行え」と命令されると、恐怖信仰で社会悪をも行うのです。偽宗教や、カルト宗教には「行為義認」が隠れているのです。
「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです」。(ガラテヤ2:16)
3、「義人は信仰によって生きる」(1:17)
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです」(3:24)
ローマ書では、すでに「信仰義認」が、高らかに宣言されていました(1:17)。神の義が啓示され、神のさばきの前に神の怒りに触れる罪人の自分がいます。
自分の義、善行ではなく、主イエス・キリストによる贖いによって、神に義と認められるのです。
罪人の自分が罪から救われる唯一無二の確かな救いです(使徒4:12)。