「日々の心配を神に委ねる」 マタイ6:25-34
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Iペテロ5:7)。
私たちの生活は不安に囲まれ、心配の種がつきません。自分の力や人の助けによって解決しようとします。それでも万策尽きて、途方に暮れてしまうことがあります。その時、私たちは、どうすれば、「希望の扉」が開かれ、不安を超える力を得ることができるでしょうか。
心配の8割は実現しないという調査があるそうです。心配しっぱなしの生涯を送ってしまったと後悔した人もいました。反対に、「一切、心配はしない」と豪語し、他人に迷惑をかけている人もいます。日々の心配をどうすれば良いでしょうか。主イエスの言葉を聞いてみましょう。
1、「心配するのはやめなさい」(25)
「自分」の命、体ですが、自分の寿命を伸ばすことはできません(26)。主イエスは、自分の命と体を造って下さった創造者なる天の父なる神がいらっしゃると教えています。だから、「心配するのはやめなさい」と命じています。
2、空の鳥(26−27)、野の花(28−30)
小さな空の鳥は、自分の食糧のために、種まきや刈り入れも食糧を貯めることもしません。天の父はその小さな鳥さえも、養ってくださっています。それならば、あなたはそれ以上の価値のある者だから、天の父は、必ず養ってくださるはずです。
明日、焼却されてしまう野の花でも、神は、きれいに装ってくださっています。まして、私たちの日々の必要を与えてくださらないことがあるでしょうか。
3、天の父は知っておられる
「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります」(34)とは、心配のいっさいを心配してくださる神に委ねることです。