「サウロの回心」 使徒の働き9:1-22
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 (IIコリント5:17)。
サウロ(後のパウロ)は キリスト教史の最大の人物と言っても過言ではありません。ダマスコ途上の劇的回心の場面です。
1、サウロの回心前
サウロは、ステパノの殉教の時、その処刑の場面にいました(7:58)。教会を荒らし、執拗に信者を追い、捕え投獄していた(8:1−2)。なおも、狂気に駆られたように、迫害を続けていた(9:1−2)。サウロは殺人者です。
サウロは、神を熱心に求め、律法を行うことによって、自己の義を追求していました。
「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした」(ピリピ3:5−6)。「私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです」(ローマ10:2−3)。
自己の義を求める人は、主イエス・キリストの十字架の贖いと復活は、躓きでしかありません。その躓きを排除し、キリストの教会を撲滅することが、自分の使命として行動していました。
2、復活の主イエスによる劇的回心
突然、天からの光に打たれ、照らし出され、サウロは倒れてしまいました(3)。
主イエスは「サウロ、サウロ」と彼の名を呼びます。
「なぜ、わたしを迫害するのか」(4)、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」(5)と、問います。サウロが迫害していたのは主イエスの信者です。しかし、信者を迫害することは、主イエスご自身を迫害することと同じと言われました(Iコリント12:27)。
「立ち上がって、町に入りなさい」(6)。主の光に打たれ、主の前に砕かれた者を、主は立たせてくださるのです。そのために、アナニアを遣わしたのです(10−18)。復活された主イエスが直接介入された劇的回心をしたサウロは、目が見えずアナニアの所に引かれて行きました。人の導きと助けが必要だったのです。3日間飲食ができず、誇り高き宗教者のサウロが、みじめな姿になっています。自分の罪を自覚し、主の御前に砕かれたことでしょう。
サウロの回心の目的は、「わたしの選びの器」(15)となることです。救われる計画も救われる道筋も全て主が備えてくださっていたのです(ガラテヤ1:14、15)。
3、サウロの回心後(パウロ)
回心後、パウロは、主イエスの異邦人への宣教者となり、主の教会の建設者となるのです(20−22)。主がパウロに与えられた使命を達成していく時、困難と迫害の連続でした(16)。パウロはその使命を全うしました(IIテモテ4:6−8)。私たちは、パウロのような歴史に残る偉大な人物ではありませんが、与えられた使命を全うしましょう。