2025.4.27メッセージ内容

「復活の主を信じる」 ヨハネ20:19-31

「見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ20:29)

1、復活の主イエスと弟子たちとの出会い

主イエスの復活の日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて、部屋に閉じこもっていました(19節a)。ユダヤ人に捕まって殺されることを恐れていたのでしょう。

すると、閉ざされている部屋に、復活された主イエスが入ってこられ、弟子たちの真ん中に立たれました(19節b)。復活された主イエスは、二度と死なない、永遠の体に変えられ、そこにおられたのです。

主イエスが「平安があなたがたにあるように」と告げられました(19、21、26節)。死に対しての勝利こそが、平安です(1コリント15:54−55)。

主イエスは「手と脇腹を彼らに示され」ました(20節)。私たちの罪の贖いとして十字架で死なれた主イエスが、復活されたのです。「弟子たちは主を見て喜んだ」(20節b)。復活の主イエスと出会い、喜び感激したことでしょう。

主イエスは復活の証人の使命を伝えます。①復活された主イエスに出会ったことを伝えることです(21節)。②「聖霊を受けなさい」とは、人間的な知恵や力ではなく、主イエスの十字架と復活と召天によって与えられる聖霊によって生きることです(22節)。③主イエスを信じることによって与えられる罪の赦しを伝えることです(23節)。

2,トマスが復活の主イエスを信じる

トマスは弟子たちと一緒にいませんでした(24節)。彼は、主イエスの十字架での傷を確認しなければ、私は信じないと言います(25節)。疑い深いトマスと思われていますが、「主と一緒に死のうではないか」(ヨハネ11:16)と熱い心も持っていたようです。主イエスの復活は信仰の根幹に関わる最重要なことで、自分で確かめ、信じることは必要なことです。

8日後再度、主イエスは、このトマスのために、あらわれてくださったのです。

主イエスの方から「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい」と、主の体の十字架の傷に触れることをお許しになったのです。どれほどトマスを愛しておられたのかがわかります。

主イエスの復活を信じる信仰は、人間の知恵、悟り、経験から起こるのではありません。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27節)と言われた主イエスの言葉を、信じることです。その後、トマスが主イエスの体の傷に触ったとは聖書に書かれていません。トマスの「私の主よ、私の神よ」の告白に、彼の信仰があらわされています(28節)。

3、復活された主イエスを見ないで信じる信仰

トマスは、復活された主イエスに出会い、確認し、信じました。そのトマスに「見ないで信じる人たちは幸いです」と主イエスが言われたました。それは、主イエスの召天後、主イエスの復活の体を確認することはできません。復活の体を見ないで信じる信仰です。見て信じた信仰と見ないで信じる信仰は、同じ信仰なのです。

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」(31節)。主イエスの復活が記録された聖書を信じて、信じる信仰が、見ないで信じる信仰です。

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