「教会を建てよ」 ハガイ1:1-8
山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。
―主は言われるー (8節)
ペルシャ王クロスによってバビロン捕囚のユダヤ人の故国帰還の勅令(BC539)が発布されました。故国に帰ることを望まないユダヤ人も多くいましたが、総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアに導かれ故国に帰還し、神殿再建を開始しました。しかし、外敵の妨害と、ユダヤ人自身の怠惰により、神殿再建工事は15年間も中断し放置されていました。主は預言者ハガイを通して4ヶ月間、4回の励ましのメッセージを語っています。ユダヤ人にとっての大きな転換点を超え、神殿再建工事が完成しました。旧約時代の「宮」(神殿)は、現代では「教会」と言えます。ハガイの時代のユダヤ人のように現代の教会も大きな困難に直面していますが、主からの励ましのメッセージを聞き、共に主の教会を建てあげていきましょう。
1,教会の現状
「万軍の主はこう言われる。『あなたがたの歩みをよく考えよ。』」(7節)。信仰の生命線である神殿再建を放置した理由は、⑴主の神殿の工事を再開する時は、今ではなく、まだ先のことだと決めていました(2節)。⑵「この宮が廃墟になっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか」(4節)。礼拝の民であるにもかかわらず、自分のことやこの世のことを優先し、礼拝や神様のことはほったらかし状態です。⑶現実の生活にも神の祝福がありませんでした(6、9-10節)。この当時のユダヤ人の状況を考えると、「仕方がないよね」と言えなくもありません。現代の教会や信仰者の現状は、いかがでしょうか。主は「よく考えよ」(1:5、7、2:15、18)と、繰り返し問うています。
2,教会を建てよ
「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」(8a節)。 信仰とは、主からのチャレンジに応答することです。「山に登り、木を運んで来て」とは、レバノン杉を山から切り出して、運んでくることです。困難や苦労を意味しています。
そして、主は「宮を建てよ」と命じています。主の命令は、主ご自身が最後の完成まで責任を持ってくださいます。主は、私たちができないことを命じません。だから主からのチャレンジに希望と期待を持って応答するのです。
教会を建て上げることは、困難と苦労の連続です。「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」(コロサイ1:24 )。信仰者の生涯が主の教会と共にあり、主の教会の器官として生かされることは、なんと、すばらしいことでしょう(ローマ12:3-8)。教会を建て上げることは、苦労のしがいのあることです。
3、教会に神の栄光が
「そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す」(8節)。「栄光を現す」とは、「わたしは、あなたと共にいる」ことで、主の臨在があることです(14節)。主の言葉に励まれて、「仕事に取りかかった」のは、ハガイを通しての主からのメッセージ(1節)があった24日後です(15節)。15年も放置していた工事を再建できたのは、主からのメッセージを真剣に受け止め、応答し、従ったからです。この後、ソロモンの第一神殿と比べて見劣りするという批評があり(2:3)、祭司たちの腐敗もありました(2:14)が、神殿は再建され、工事は完成しました(BC516 )。
「教会を建てよ」の主からのメッセージに応答し、立ち上がりましょう。