2025.3.16メッセージ内容

「聖書的教会とは」 エペソ4:1-16

愛をもって真理を語り、あらゆる点において、キリストに向かって成長するのです。(15節)

この手紙が書かれた時、パウロは獄中にいました。それまでの多忙をきわめた伝道生活から、一転して獄で静かに主と交わる時をもっていたのです。そして長く交わりをもっていたエペソ教会のこれからを考えながら、信徒の成長のために必要な3つの要素を次のようにまとめました。

一、一つとなること

初代教会にも分裂の危険性がありました。意見の対立がありました。だからこそ、お互いに「謙遜と柔和の限りを尽くす」ことが命じられています。私たちが信じている神は唯一の方です。この方がどういう方かを正しく知るなら、基本的なところで仲たがいすることはありません。天地を造られた神は、「神の似姿」に人を創造されたゆえに一つとなる事ができるはずです。

聖餐式は、この真理を見える形で表現しています。同じパンを食べ、同じぶどう酒を飲むことは同一のキリストが私たち一人ひとりの内にいてくださることを受け入れることです。同じキリストが私の心に、あなたの心に、いてくださるという信仰が私たちを一つとするのです。5節にあるように「主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです」。私たちは、キリストを頭とする体に繋がっていることを忘れてはなりません。

二、違いを認めること

しかし、現実に存在する教会には、様々な違った人々がいることも忘れてはなりません。聖書はそれを賜物の違いと言います。人によって違った能力や性質があります。性別/職業/年齢/家族構成など、同じ人は一人もいません。教職者であっても、使徒/預言者/伝道者/牧師や教師というように、働きの場は多様です。それは違った分野で聖徒たちを整えるためにほかなりません。

Ⅰコリント12章には、顔の譬えが用いられています。目/鼻/口/耳/目など、みな違った働きをします。でも全てが必要なのです。どれか一つは役立たずと言ってはなりません。違いがあるからこそ、他の人を助けることができるのです。万一、教会の中に、「あの人は嫌だ」という人がいるなら、悔い改めましょう。そして、神はあえてその人をこの教会におかれていると認めましょう。

三、組み合わされていること

「愛をもって真理を語る」とは、聖書のことばを互いに分かち合うことです。そうすることによって人は成長します。人間の内臓は様々な違った働きをしていますが、それらが互いに繋がって、一つのからだを造り上げています。それと同様、集う人々が多様だからこそ、教会は健全に成長するのです。自分の意見だけが正しいという独善的な人物にはなりません。互いに組み合わされ、助け合って教会は形成されていきます。

「それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられる」とは、教会に集う者たちが愛し合うことによって、教会は内的にも外的にも成長することを約束しています。たとえ小さなことであっても、キリストの体である教会のために自分にできることをしましょう。誰かのために祈ることはその一つです。

牧師が変わることは、教会の歩みのために大きなチャレンジを与えます。それに対して自分はどのように対応していくべきかを考えましょう。「キリストにあって一つ」という理念を堅く持って、かしらであるキリストに向かって成長していきましょう。きっと10年後の教会は、ますます信仰と希望と愛に生きる教会となっているはずです。

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