2025.3.2メッセージ内容

「聞き従う信仰」 Ⅰサムエル15:17-23

聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(22節)

最後の士師であり最初の預言者であったサムエルは、民の要求に応じて、サウルを王に任命しました。民は周辺諸国と同じく、強力な軍隊を率いる強い王を願ったのですが、サムエルは、王にとって最も大切な資質は神に従うことだと、この箇所を通して王と民に宣言しています。

一、王だからこそ大切

王は、他の誰よりも大きな権力をもっています。その権力を自分勝手に用いたらどういう結果になるでしょうか。王だからこそ、自分より偉大な方がおられることを自覚せねばなりません。自分自身の弱さや小ささを認め、神が示されたことに謙遜に従う必要があります。それこそが、民の上に立つ指導者に必要な資質です。サムエルはこれをサウル王に教えたのです。

現代においても、国や地方自治体を率いる指導者がいます。もちろんそれらの人々が信じる宗教は認めねばなりません。しかし、政治権力を用いるためには、人々に仕える思いが不可欠なことは知らせるべきです。神の存在を認めることは、自分が神よりも低いことを自覚することであり、自分の政治がいつか神によって裁かれることを覚悟することです。現代の指導者はこの謙遜さを持っているでしょうか。

二、使命遂行のために大切

サウルは、サムエルによって王に任じられましたが(11:14-15)、サムエルは、「主があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされた」と言います。だから、主に従って王としての使命を遂行せねばならないのです。神の命令よりも、自分の判断を優先してはなりません。けれどサウルは、「聖絶せよ」との主の命令に従わず、良い家畜を残しておきました(9節)。明らかに神に背くことです。

私たちにも主は使命を授けてくださっています。仕事をしっかりと行うことや、家庭を整えることや、勉強に励むことなどです。自分にしかできないことを、主が授けて下さった使命だと受けとめることが大切です。どんな使命を遂行するためにも、神のことばは知恵を与えてくれます。今日、どのように生きるべきかが聖書に明確に記されているからです。

三、いけにえよりも大切

サウルは、「主にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして」いけにえとなる羊と牛を取っておいたと言います。しかし、主が実際にいけにえを食するわけではありません。いけにえを献げる真の目的を、サウルは理解していませんでした。「聞き従うことはいけにえにまさる」ことがわかっていなかったのです。従わないことは、偶像礼拝の悪と同じだと主は言われます。

占いや偶像礼拝は、本当の神よりも偉大なものを自分で造り上げることです。そして、自分の益になるように仕向けようとすることです。いけにえをすると言っても、それで御利益を得ようとの腹づもりがあるなら、それは利己的な行為にほかなりません。いけにえをするのは、自分の罪を悔い改め、謙遜な思いで主の前に出るためであることを覚えましょう。

神のことばに聞き従うとは、自分の力で何かをしてやろうという高慢な態度をもつかぎり、できることではありません。逆に、自分の罪深さを自覚し、謙遜に神の助けを求めるときに、従うことができるのです。今、ありのままの姿で、主に近づきましょう。それが「砕かれた霊」とダビデ王が歌っていることなのです(詩篇51篇)。

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