2025.2.16メッセージ内容

「神の声を聞こう」 Ⅰサムエル3:1-9

主がおまえを呼ばれたら、「主よ。お話しください。しもべは聞いております」と言いなさい。(9節)

クリスチャンにとって、神のことばである聖書を読むことは基本中の基本です。しかし単に昔話として読むのではありません。現在の自分に主が語っておられ、それを聞くのだという思いが必要です。ここに登場するサムエルは、まさにそのような経験を幼い時にもった人物でした。

一、神の声があると知る

サムエル記1章には、サムエルの母ハンナの嘆きと祈りが記されています。母ハンナの涙の祈りの中で彼は生まれ、3歳ころに祭司エリの家庭に預けられて、主の神殿(幕屋)で寝起きするようになりました。成長した頃には、なぜ自分がそのような環境に生きているのかも知らされたことでしょう。彼は、自分を神に献げた親の気持ちを理解し、そこで様々なことを学びました。

幼いころは特に、環境が大きな影響を与えます。周囲の大人が何を話し、何を大切にしているかを自然と学んでいきます。幼い頃から親が祈る姿を見、親と共に教会に行っている子どもは、目に見えなくても実際に生きておられる神があることを知ります。さらに、その方が自分に語ってくださることを経験することもあるのです。聖書を読むことによってそれは実現します。

二、神の声を聞こうとする

しかし、環境がすべてを決定するのではありません。2章を読むと、エリの実の息子たちは、祭司としての祭儀を行う中で、かなりの悪事を働いていたようです。ところがサムエルは、まだ小学生ぐらいの時に、寝泊まりしていた主の宮で、自分の名を呼ぶ神の声を聞きました。老年になっていた祭司エリに聞こえなかったのは、単に高齢のせいだけではなかったでしょう。

たとえ環境が整っていたとしても、神の声を聞こうとしない人もあります。神がおられるなら、その方は自分にも語ってくださると信じ、その声を聞こうとする姿勢を持たねばなりません。悩みの時や大切な決断をする時に、聖書を開いて神の声を聞こうとしているでしょうか。エリがサムエルに、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と答えるよう教えたことは、現代の私たちがすべきことを示しています。

三、神の声に従う

神の声を聞いたサムエルは、驚いたことでしょう。神の正義の厳しさを学んだのです。この時代は、士師たちが単発的に民を指導していたのですが、それでは解決できない問題がおこるようになりました。そのために王が必要になってきたのですが、その王は神の正義に基づいた政治をしなければなりませんでした。サムエルは、このことを民に教えるために神が選ばれた人物であり、後の預言者の先駆けとなったのです。

幼い子どもを育てている親は、大きな責任を神から委ねられています。学校では教えてくれないことを、子どもたちに身をもって示す責任です。子どもたちが主の声を聞いて成長していくことは、これからの教会の運命を決めると言っても過言ではありません。高齢者が多いからこそ、次世代が育っていくために尽力する必要があります。CSとその教師のために祈りましょう。

神のことばである聖書は、現代、誰でも自由に読むことができます。聖書を開けば、いつでも神の声を聞くことができます。何という大きな恵みでしょうか。早天祈祷会ではヨシュア記の通読をしていますが、毎日、聖書から神の声を聞いて歩むことほど力強いことはありません。

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