2025.1.26メッセージ内容

「人生の記念日」 ルカ19:1-10

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。(10節)

イエス・キリストが「神の国」と言われたのは、この地上にあるどの国とも違うものです。そこに住む人も、違った基準で生きています。そのことを明確に示す人が、この箇所に登場するザアカイです。彼は経済的には何不自由のない人でしたが、誰からも愛されることがない寂しい人でした。でもその人生が変化する記念日を迎えたのです。

一、考え方が変わった日

彼は、当時の超エリートしかなれなかった「取税人のかしら」で、不正な方法で富を得た金持ちでした。同胞のユダヤ人から不正に税金を徴収し、支配者であるローマ政府にある部分だけ納めていたのです。当然、人々からは冷たく扱われ、友人と言えるような人は誰もいませんでした。また背が低いというコンプレックスによって、お金だけが人生という考え方をしていました。

今の世の中にも、このような人はある程度いることでしょう。経済的に豊かであっても、心に虚しさを感じている人たちです。努力家でそれなりの地位を築いてきたのですが、家庭や地域では孤独を感じている人たちです。キリストは、そのような人々にご自分から近づかれます。お金やこの地上の楽しみで満たされない心に、「愛」という暖かさを持ってこられるのです。

二、真の愛を知った日

ザアカイが住む当時の大都市エリコに、キリストが来られるというニュースを聞いたザアカイは、何としてでもこのお方に会いたいと思ったのでしょう。しかし、背の低い彼の前には多くの人々がいて、彼を前に出してくれるような人はいませんでした。しかし賢い彼は、前方に大きな「いちじく桑の木」があるのに気づき、その木の上からキリストを見ようとしたのです。

木の上から見下ろしていたザアカイの姿を、キリストはいち早く見つけて、「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と声をかけられます。初めて会う人が自分の名前を呼んでくれたこと、また「今日、あなたの家に泊まることにしている」と言われたことに、ザアカイは驚いたに違いありません。彼は、このお方が自分を知り、自分を愛してくださっていることに気づいたのです。

三、生まれ変わった日

ザアカイは喜んでキリストを自分の家に迎え入れました。そればかりか、キリストが何も言われなかったのに、自分がした悪いことを悔い改め、不正の行いを償うことを約束したのです。また、貧しい人々を助けることも約束しました。自分のむなしい心を満たしてくれる方を知ったとき、彼の歩みは変わりました。まさに生まれ変わった人生を踏み出したのです。

私たちの周囲にも、ザアカイのような人がいるのではないでしょうか。寂しいと言わなくても、誰かから愛してほしいと願っている人がいるのではないでしょうか。目に見える物を追い求めるのではなく、もっと大切なものがあることを伝えるなら、その人の生き方は変わります。ザアカイは、初代教会でもよく知られるようになり、多くの人に尊敬されるようになったのです。

私たちの生き方はどうでしょうか。それなりの努力をして今のような生活をすることができるようになったことは確かでしょう。しかし、周囲にいるだれか寂しい人に対して、少しでも愛や思いやりを示したことがあるでしょうか。自分の人生が変わったのなら、だれか他の人の生き方に影響を与えることは不可能ではないのです。

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