「十字架の主の足跡に従う」 Iペテロ 2:18-25
「このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」(ペテロ2:21)
苦難の中にある小アジア(1:1)の信者への使徒ペテロからの手紙です。そこに書かれてある苦難とは、「異教社会での世俗的習慣への埋没」です。信仰者は、この世にあって、永遠の御国をめざす「旅人」「居留者」(1:17、2:11)です。このような厳しい世の中での信仰者の生き方①「市民」(2:13―17)②「奴隷」(2:18−25)③「妻」(3:1−6)、④「夫」(3:7)を具体的に示しています。
私たちも、神を信じているのに、どうしてこんな環境で、こんな時代に、こんな人間関係の中で、悩み苦しむのかと思うことがあります。
しかし、信仰者は「このためにこそ、あなたがたは召されました」(21節a)と、苦難の中にあって、神の意図と計画があるのです。そして、「キリストは‥」(21b-25 節)と、主の十字架の贖いを指し示します。この当時の礼拝での信仰告白、讃美歌の言葉です。
1、主の十字架の贖い
信仰者の「奴隷」が、意地悪な主人の場合は、どうすべきか?その答えが、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、模範を残された」(21節)と、十字架の苦難を負われた主イエス・キリストを仰ぎ見るようにと勧めています。
主イエスは、罪を犯さず、偽りがない生涯を送られたにもかかわらず、ののしられ、苦しめられ、脅された。その時、主は、「ののしり返さず」「脅すこと」をしなかった(22−23節)。「正しくさばかれる方(父なる神)にお任せになった」(23節)。 「キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた」(24節)。ここに、キリストと信仰者との決定的な関係があります。
「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(Iヨハネ3:16)。
このキリストの十字架の贖いによって、私たちが「罪から離れ、義のために生きる」(24節)ことができるようになりました。
2、主は牧者、監督者
現実の生活の中で、信仰者として悩み、苦しみ、行き詰まることがあります。解決策を自分自身で考え、他人にも相談し助けてもらいます。その一方で、自己過信に陥り、他人に依存しすぎて、ますます迷路に入ってしまうことがあります。
主は、「自分のたましいの牧者」(25節)です。現代の複雑な時代にあっては、牧者なる主に、信頼し、祈り、主に導かれて、生活できることは、感謝なことです。
主は、「監督者」(25節)です。私たちは目の前のこと、物事の一部分しか知りません。しかし、主は、私の全てをご存知で、この世の支配者です。主は、私たちの人生の監督者です。
3、主の足跡に従う
主の足跡に従うことは、①神の御前に生きることであり、②信仰によるに忍耐が与えられ、③神に喜ばれる生き方です(19−20節)。共に主の足跡に従って歩んでいきましょう。