2026.2.15メッセージ内容

「十字架に向かうイエス様」 マタイ 21:1-11

「見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って」 (マタイ21:5)

イエス様の歩まれた道は、十字架の苦難に向かうへりくだりの道でした。旧約聖書には多くのメシア預言があり、それらはイエス様の生涯において成就しています。それは単なる偶然ではなく、神の救いのご計画が歴史をとおして貫かれている証です。今日は、ゼカリヤの預言がどのようにイエス様に成就したかに注目します。

1、預言が成就するために(1~5)

    イエス様と弟子たちがエルサレム近くのべテパゲまで来ると、イエス様は二人の弟子に、向こうの村へ行って子ろばを連れて来るように命じました。その時、だれかが何か言ったら「主がお入り用なのです」と言えばすぐに渡してくれると告げました。それは、5節のゼカリヤ書9:9(旧P1621)のみ言葉が成就するためでした。

    ゼカリヤは、国が滅び、神殿の再建もできていないときに、「王がやって来る」という希望のメッセージを語りました。それは、軍馬にまたがって敵を打ち倒す王とは真逆の、子ろばに乗る柔和な王でした。

    「柔和な」と訳される言葉には、「へりくだった」「苦しめられた」という意味もあります。ゼカリヤが預言した王は、武力で支配する王ではなく、徹底的なへりくだりと苦難によって平和をもたらす王なのです。

    2、エルサレム入場(6~9)

    弟子たちが連れてきた子ろばに、イエス様が乗って現れると、人々は自分たちの上着や木の枝を道に敷きました。これは王を迎えるときの態度です。つまり、群衆はイエス様を王と認めたのです。そして「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と叫びました(9)。「ホサナ」とは「どうかお救いください」の意味ですが、ここでは王であるイエス様を出迎える喜びと賛美の叫びです。「ダビデの子」と叫ぶ群衆には、イエス様がローマ帝国を倒して自分たちを解放してくれるという期待がありました。

    3、イエス様が来られた目的は?

    イエス様がエルサレムに入城すると、都中が大騒ぎになりました。それは、イエス様を歓迎するというよりも、「この人はだれなのか」という戸惑いや動揺が拡がったのです。人々が望んでいた救い(ローマ帝国からの解放)と、イエス様が与えようとされた救い(罪からの解放)との間には、大きな隔たりがありました。その結果、群衆たちは数日後に「イエスを十字架につけろ」と口々に叫ぶようになるのです。

    あなたにとってイエス様は、どのようなお方でしょうか?もし「自分の願いをかなえてくれる優しい方」という認識しかないなら、期待外れだった場合にすぐにイエス様から離れてしまうでしょう。しかし、イエス様があなたの救いのために十字架で死ぬほどへりくだられた王であると知るとき、「この方に従おう!」という決意が生まれるのです。イエス様を信じて従いましょう。

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