「血による宥めのささげ物」 ローマ 3:21-26
「神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです」。ローマ3:25~26
キリスト教の救いは、主イエス・キリストの十字架の贖い(身代わりの死)によって、自分の罪を赦され、神に義と認められることです。神に自分が義と認められたと信じ、無代価で、神の義を受け取ることです。過去、現在、未来に亘って、神の義は永遠に変わりません(21−24節)。
1、血による宥めのささげ物
「血による宥めのささげ物として公に示されました」(25節b)。
①宥めのささげ物:
福音とは神の義が啓示されたことです(ローマ1:17)。神は、罪人を愛しておられますが、罪を憎まれ、お怒りになります(ローマ1:18)。神の怒りが収まるためには、その罪が罰せられるしかありません。主イエスは、全人類の罪の罰を受けることに恐れ慄いたのです(ルカ22:42−44)。
「宥めのささげ物」とは、旧約時代、契約の箱の上部の「宥めの蓋」に、神の見ている前で、罪の罰のために動物を殺して、流された血が注がれたのです(ヘブル9:2−5)。
②血によるささげ物:
主イエス・キリストは、十字架で命を捨て、その命が犠牲になった証拠として、主イエスの血が流されました。「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました」(ヘブル9:12)。「あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです」(ペテロ 第一1:18~19)
2、神ご自身が神の義を示す
①神は罪を見逃してこられた:
義なる神は、罪を罰するはずなのに、「神は忍耐を持ってこれまでに犯されてきた罪を見逃してこられたのです」(25節)。神のいつくしみと忍耐と寛容のゆえです(ローマ2:4)。
②神は、神の義を主イエスの十字架で示された:
「罪を見逃してこられた」理由は、「今この時に」(26節)その罪を主イエス・キリストに負わせ、罪を罰するためです。神は主イエス・キリストの十字架によって、神の義を公(歴史上)に示されたのです。
3、イエスを信じる者を義と認める神
①信仰によって受けるべきささげ物:
25−26節では、神ご自身が神の義を示している、明らかにしていると繰り返して強調しています。人のすることは「信仰によって受けるべき」(25節a)とあるように、ただ、信じて受け取るだけです。
②イエスを信じる者を義と認める神を信じる:
キリスト教信仰とは、自分を信じるのではなく、神を信じることです。その神は、イエスを信じる者を義と認める神です。