2026.1.11メッセージ内容

「御霊による心の割礼」 ローマ3:1-8

「決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。『それゆえ、あなたが告げるとき、あなたは正しくあられ、さばくとき、勝利を得られます』と書いてあるとおりです。」 ローマ3:4

  ローマ書の罪悪論の「闇」の記述の中には、必ず、神の「光」が差し込みます。人の屁理屈の罪に対して、神の真実による救いと希望があります。

1、屁理屈の罪

例えると、親に叱られている子が、自分の罪を棚に上げて、叱っている親に対して屁理屈を並べてごねているようです。人は神に対して、屁理屈の罪を犯しています。要するに、自分の罪を正当化し、神の方が悪いと言うのです。

屁理屈①信仰者の中に不真実な者がいるではないか

罪悪論で信仰者(ユダヤ人)の罪を厳しく指摘しました。しかし、「すべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方です」(4節)。

屁理屈②神の義を明らかにするため、神が人間の不義を怒りさばくのは、不義ではないか

「人間的な言い方」(5節)とは、一見筋が通っているように思える人間的な理屈を、その通りと思うことです。罪を犯した子を叱る親の正しさが一層引き立ちます。その罪を犯した子に対して怒り叱る親の方が悪いと言う屁理屈です(5節)。   

屁理屈③人間の不義が、神の栄光となるなら、人間はますます悪を行うということになる

人の偽りと罪によって、神の義が引き立てられて神の栄光が輝き、人が罪を犯すほど、神の栄光になるならば、人はますます罪を犯しても良いということにならないか(8節)。

2、神の真実

人間の屁理屈によって、神を揺さぶっても、神の真実は微動だにしません。

神の真実①神の言葉を委ねたこと

信仰者(ユダヤ人)は不真実であっても、神は、神の言葉を委ねました(2節)。委ねるとは、信頼して、任せたことです。その神の言葉が、光となり、真理となり、命となったのです。私の所に、神の言葉が届いたという事実を軽く見てはなりません。私たちも神の言葉が委ねられたのです。

神の真実②全ての人が偽り者でも、神は真実

人は自他共に不真実ですが、神は真実(4節)。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである」(IIテモテ2:13)。

神の真実③ 神の真実による神のさばきと赦し

ダビデが罪を認め、悔い改めた時、神のさばきは正しいと神に告白しています。(4節・詩篇51:4)。
真実な神が罪をさばく時、真実な神はその罪を赦し潔めてくださるのです。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」。(Iヨハネ1:7−9新P478)。

神の真実④神の真実による再臨の希望  

「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます」(Iテサロニケ5:23−24)

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