2025.12.7メッセージ内容

「罪からの救い主」 ローマ1:18-25、マタイ1:21

「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」 マタイ1:21

ヨセフは、夢の中で御使いから、マリヤの懐妊が聖霊の御業であることと、「この方がご自分の民をその罪からお救いになる」ことを、告知されました(マタイ1:18〜25)。それでは、罪とは何かを、ローマ書から確認してみましょう。

1、神の怒りの啓示によって、罪を知る

⑴神の義の啓示:「福音には神の義が啓示されていて」(17)。神が義なるお方であり、人がその義なる神と義なる関係になることが救いであると、神は啓示されました。

⑵神の怒りの啓示:「神の怒りが天から啓示されている」(18)。神の啓示に対して、人は「不義によって神の真理を拒み」、「あらゆる不敬虔と不義」の態度で、神を拒絶しています。これが、神が罪に対して怒る理由です。

⑶神からの一般啓示(自然界、人の良心によって):「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません」(20)。自然の美しさ、秩序、神秘、生命の営み、宇宙の壮大さ、物理法則などは、偶然や進化の産物ではありません。神が創造された被造世界を観察すると、創造者なる神がいらっしゃることは、明らかではないかと告げています。

2、罪の出発点から、転倒した罪の世界に

⑴神についての批評家:「彼らは神を知っていながら」(21)「彼らは、自分たちは知者であると主張しながら」(22)。神についての知識を持ち、神を上から目線で批評する人々のことです。彼らは、神を信頼し委ねているわけではありません。

⑵罪の出発点:「神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです」(21)。

①神を礼拝しない:「神を神としてあがめず」。一般的には、悪いことはしていないし、神を礼拝しないことが何が罪かと思います。しかし、ここが罪のスタートラインで、その後、罪の坂道へ転落します。自分では止めることはできません。

②神に感謝しない:「感謝もせず」。神への礼拝の心がないので、神への感謝もありません。ただ、自分の都合の良い事があれば、その良い事への感謝はあるかもしれません。

③満たされないむなしい心:「かえって、その思いはむなしくなり」。神を締め出した心は、何をしても、むなしさが残ります。

④鈍い心、暗い心:「その鈍い心は暗くなった」。罪に鈍感で無感覚で、心の闇が深くなります。

⑶転倒した罪の世界

①真の神の替わりに、人・動物が神に:「朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまい」(23、25)。目に見える物、見えない物など、偶像礼拝です。

②欲望が止まらない世界:「そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています」(24)。人は、何をやっても自由と暴走、混乱している人の世界。

3、罪からの救い主・イエス・キリストの降誕

罪からの救い主、主イエス・キリストは、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23:34)と祈ってくださり、罪を罪とも思わない者のために、十字架で贖いの死をとげ、罪からの救い主となってくださったのです。

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