「求めなさい」 ルカ11:5-13
「求めなさい。そうすれば与えられます。」 (ルカ11:9)
主イエスは、父なる神に信頼して祈り続ける大切さを教えられまえした。
1、 祈りの模範としての主の祈り(1-4)
主の祈りは、主が教えてくだった祈りの模範です。まず、自分の願いや考えにとらわれやすい私たちの心を天の父なる神に向けます。どんな時も、神が愛のお方で、私たちの必要をご存じであり、最善をなしてくださるという信仰に引き戻されます。
自分の思いや願いを越えて、「神のみこころ」が行われることを求めるように、私たちの心が整えられます。
2、 熱心に求める人のたとえ話(5-8)
主は、旅人をもてなすために、ある人が真夜中に友人の家を訪ね、しつこくパンを求めるたとえ話を語ります。最初は断った友人でさえ、しつこさのゆえに起きてパンを与えてくれるとすれば、天の父は私たちに必要なものを与えて下さるという教えです。このたとえは、私たちが神にしつこく祈れば、どんな祈りでもかなえられるという都合の良い約束ではありません。私たちの心の奥底に、自分の熱心や頑張り、しつこさによって、神を操ろうとする傲慢な思いがないでしょうか?父なる神は、愛にあふれた方ですが、私たちの都合の良い、わがままな願いを何でもかなえて下さる方ではありません。しかし、私たちが根気強く、粘り強く、あきらめずに、忍耐して祈るなら、神は必ず必要なものを与えてくださいます。
3、 神は良いものを与えて下さる(9-13)
子どもが魚を求めているのに蛇を与えたり、卵を求めているのにサソリを与える父親がいないように、天の父なる神は、私たちの祈りを聞いて、私たちに「必要なもの」「良いもの」を与えてくださいます。それが、私たちの願ったとおりのものとは限りません。願いと違った時に、祈りが聞かれなかったとがっかりしたり、不満を感じたりすることがあるかもしれません。しかし、私たちのことを一番よくご存じの神からすれば、それが私たちにとって一番良いものなのです。神には、私たちにはわからない最善のご計画があるのです。ですから、自分が握りしめている願いや計画を手放して、みこころが成るように祈りましょう。
主は、「求めなさい。探しなさい。たたきなさい」と勧めています。神は私たちの必要をご存じなのに、なぜ祈り求めるのでしょうか?それは、継続的に神との親しい交わりを持つためです。祈りの中で、神に近づき、みこころを知り、みこころにかなう歩みを願うように整えられていくのです。祈り続けるうちに、「自分の願いが変わっていった」、「まだ問題は解決していないけど平安が与えられた」、という経験はありませんか?
13節から、「良いもの」が「聖霊」であることがわかります。聖霊がいつも共にいて、慰めや励ましや平安を与えて下さり、神に喜ばれる道を示してくださいます。祈っても何も変わらないと思える時も、神の最善を信じて、祈り続けましょう。