2025.9.28メッセージ内容

「悔い改めと信仰」 Ⅱ列王22:8-20

「私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者とならないために。」(詩篇119:11)

1、歴史の背景

「ヒゼキヤ王の祈り」によって、アッシリア軍に勝利しました(II列王18−19章・先週の説教)。ヒゼキヤ王は神の御前に敬虔な祈りをささげた信仰者でしたが、その後のアモン王、マナセ王は、ヒゼキヤの宗教改革を帳消しにし、バアルの祭壇、アシュラ像などの偶像礼拝と、呪い、霊媒、呪術などの異教的習慣を再興させてしまいました。これらは「主が忌み嫌われること」であり、主は、何度も警告してきたことです。ユダ王国は、悔い改めず、滅亡してしまいます。

曽祖父は信仰者、祖父と父は不信仰な悪王という系譜の中で、ヨシヤ王は信仰者として、宗教改革を実践します。「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった」(II列王23:25)。

2、ヨシヤ王の悔い改めと信仰

⑴悔い改め

主の宮で「律法の書」が発見されます(22:8)。ヨシヤ王自身が律法の書に記されていることを真摯に受けとめます。自分たちや先祖が、律法に従わず、神の激しい憤りに触れる罪を犯したことを認めます(22:13)。女預言者フルダは、主がヨシヤ王の悔い改めを受け入れ、ヨシヤの時代には国の滅亡がないことを告げます。「あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる」(22:19b)。

⑵信仰

ヨシヤ王は、まず民全体に律法を聞かせます(23:2−3)。王自身が先頭に立ち、偶像礼拝と異教的習慣を徹底的に取り除きます(23:4−23)。王は命令を出しただけではなく、宗教改革の進捗を確認し、国全体に行き渡らせます。

3、私たちの悔い改めと信仰

⑴悔い改め

ヨシヤ王の悔い改めが「律法の書」の発見からであったように、私たちも、聖書の言葉の再認識から、悔い改めの心が起きます。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます」(ヘブル4:12)。神の言葉が、心の中に入らず、素通りしてしまうと、悔い改めることはできません。

ヨシヤ王は、中断していた「過越のいけにえ」を献げました(23:23)。私たちは主イエス・キリストの十字架の血潮を仰ぎ、悔い改め、信仰を再確認します。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Iヨハネ1:7)。”

⑵信仰

信仰は、心の中だけでなく、実生活の罪や悪しき事との決別に向かわせます。主は、私たちに真の勇気と力を与え、私たちを聖別し整えてくださいます(IIコリント6:14−18)。 

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