「素直に神を信頼する」 Ⅱ列王5:1-19
「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」。(ヤコブ1:21)
1.ナアマン将軍の素直な信仰
「この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた」(1節)。ナアマンは、アラム国の歴戦の勇士でしたが、深刻な悩みは、ツァラアトに冒された身体であったことです。
イスラエルから連れてきた娘が、イスラエルには預言者がいて、その病気を治すことができるということを言います(3)。ナアマンは、最後の望みをかけ、部下と贈り物を携えて、エリシャのもとに行きます(3−7)。
エリシャの家の前に着きましたが、エリシャではなく、使者が出て来て、「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります」(10)と告げただけでした。
ナアマンは「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか」(11−12)と激怒し、アラム国に帰ろうとします。
その時、「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか」との部下の忠告を素直に聞き入れます。そして、ナアマンは、エリシャの言葉の通りに、7回、ヨルダン川に身を浸して、主の癒しの奇跡を経験しました。ナアマン将軍には異邦人でありながら、主に対する素直な信仰を見ることができます。
2.素直に神を信頼する大切さ
⑴素直な信仰を邪魔するものは
①自分のプライド:ナアマンも、最初は自分のプライドが邪魔をしていました。
②マンネリ信仰の状態:イスラエルの王は、神の選民であるにもかかわらず、預言者エリシャの存在は眼中にありませんでした(7−8)。本来の信仰が失われている状態です。
③自分のこだわり:ナアマン自身が描いた癒しの筋書きとは違っていました(11―12)。自分なりの考え方、やり方、体験に固執し、御心を無視していないでしょうか。
⑵素直に神を信頼するためには
①御言葉を素直に聞く:「心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい」(ヤコブ1:21、ローマ10:17)。
②小さなことでも、素直に従ってみる:神は難しいことではなく、私たちにできることを示されます(13)。その示された通りに素直に従うことです(14)。素直に神を信頼して、まず一歩踏み出してみることです。
③神に素直に感謝する:ナアマンは癒されたあと、エリシャの所に感謝のために、引き返しました(15−19)。素直な信仰は、おのずと、神への感謝となります(ルカ17:11−19)。