2025.8.10メッセージ内容

「心から喜んで神を礼拝する」 IIサムエル6:12-19

「感謝をもって御前に進み賛美をもって主に喜び叫ぼう」(詩篇95:2)

1、ダビデ王の大きな喜び 

イスラエル民族は、礼拝の場所として幕屋があり、罪の贖いのために「神の箱」(契約の箱)がありました。神の箱は、神の臨在と神の保護の象徴です。その神の箱がペリシテ人に奪い取られてしまいました。ペリシテでは災害が起こり、その箱を送り返します。ダビデとイスラエルの民は、神の箱を迎え入れました。その時、大きな喜びがありました。「ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、主の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った」(5節)。

神の箱を運ぶ途中で、荷車から落ちそうになり、ウザが神の箱に触れてしまい、神に打たれてしまいました。神の箱に触れることは「不敬の罪」(民数4:15)です。ダビデも神の箱を迎え入れることに躊躇してしましたが、最終的にはダビデの町に神の箱を迎え入れました(15節)。

再度、ダビデとイスラエルの民には、大きな喜び起こりました。王であるダビデがなりふりかまわず、踊り跳ね回って、その喜びを表しています。「ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上げた」(14−15節)。

2、心から喜んで神を礼拝する

(1)真心から神に近づくことの喜び

神の箱が戻ってきた時のダビデの喜びは、神との交わりの回復の喜びです。私たちは、主イエス・キリストによって、恐れることなく、真心から神に近づくことができます。「また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか」(ヘブル10:21−22)。

(2)神を愛し従うことの喜び

ダビデには、無邪気な子どものような心からの喜びがありました。

私たちは、主イエス・キリストを心から愛し従うことを喜びとしています。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています」(Iペテロ1:8)。

(3)神を喜ぶことは、私たちの力

私たちの現実は、喜べないことの方が多いようです。嫌なこと、悲しいこと、辛いこと、惨めなことなどに心が押しつぶされ、喜びがなくなってしまいます。

「今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」(ネヘミヤ8:10)。

どんな時でも、主が共におられることを心に留める時に、共におられる主ご自身を喜ぶことができるのです。共におられる主が与えてくださる力、勇気、知恵があることは、なんと感謝なことでしょう。

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